2009年05月28日
年少さんの読書
北海道青少年のための200冊
‐読書で心豊かな青少年を育てよう‐
毎年、(財)北海道青少年育成協会が、北海道学校図書館協会と北海道読書推進運動協議会とで協同して選書する優良図書のうち、小学生低学年以下の最近3年間の40冊を紹介する。

第127回 子どもたちに送りたい優良図書 <%BlogTag%>
‐読書で心豊かな青少年を育てよう‐
毎年、(財)北海道青少年育成協会が、北海道学校図書館協会と北海道読書推進運動協議会とで協同して選書する優良図書のうち、小学生低学年以下の最近3年間の40冊を紹介する。

第127回 子どもたちに送りたい優良図書 <%BlogTag%>
2008年07月17日
課外学習、お魚へったの?
□最近のもんべつの漁業について
総合学習「なぜなぜ調査隊」漁業班
紋別市立南丘小学校六年 H20,7,15
①船はどのくらい減ったの?どうしてなの?
平成20年は船外機船と云う小さなものが98隻で、普通の動力船の102隻と合せて200隻あります。
◆船の大きさ ○左と関係のあるのはどれかな
船の種類 だいたいの大きさ ~博物館に展示しているので
○こんぶ採りの船 1~ 2㌧くらい 探してみてネ
○ホタテ引きの船 14㌧くらい ○平安丸
○底 建 網 船 10~15㌧くらい ○八 尺
○サケ・マスの船 15~20㌧くらい ○定置網
○沖合い底引き船 150~200㌧くらい ○ネジリ
◆船の数の減少
○10年前の平成10年には、
・船外機船が144隻
・動力船は134隻 の合計278隻ありましたが、2トン前後の船を中心に主に5トン以下の小さい船が大きく減りました。
②働いている漁師さんは何人いるの?
今の漁業協同組合の組合員(お魚を漁で採ってよいヒト)は平成10年のときに207人でしたが、今は178人に減りました。また、漁業全体で働いているヒトは、平成5年が456人、平成15年は452人で組合員の減少に比べて漁師さん全体の変化は小さいです。
③水揚げについて
去年は73,105トン、82億6千百万円と豊漁でしたが、一昨年は台風の被害などもあって53,488トン、68億5千9百万円といつもより少なかったです。
◆紋別の漁獲の順位(平成18年)
○北海道で水揚げされた市町村別の順位は、
・量が10位
・金額で9位
この50年間で一番、お魚が獲れたのは昭和51年の208,644トンですが、そのうちで昔はスケソウダラが一番たくさん獲れていました。昭和60年の11万トンを最後に10万トンを切って、ここ数年は1千トン台の水揚げでしたが、昨年は平成2年以来に1万トン以上が獲れました。
このようにスケソウダラの水揚げが減ったのは、昭和60年に200海里規制が本格的となり、北転船(北洋の遠洋底びき船)や沖合底びき船が遠くまで魚を獲りに行けなくなったこと、全体的に資源が減少したことなどが原因です。
もんべつでは、かってはスケソウダラを塩干した「すきみ」の生産が全国の70%以上を占めたこともありました。
※「たらこ」はタラの子(卵)ではなく、スケソウダラの子(卵)のことです。
○200海里規制って分かるかな、後で調べて見ましょう。
○漁師さんたちは魚を獲りすぎないようにしています。
網の目の大きさを決めて、小さな魚を獲らないようにしたり、みんなで獲る量を制限したりしています。また、「サケ・マス」や「ホタテ」のように育ててから放流するなど、引き続いて、これからも漁ができるように資源の管理に努めています。
○カレイやケガニなど獲ってもよいサイズを調べてみよう。
○「広報もんべつ」の知っていますか『紋別の水産物』を見て、紋別のお魚を勉強しよう。H20年5月号から
第67回 紋別の漁業
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総合学習「なぜなぜ調査隊」漁業班
紋別市立南丘小学校六年 H20,7,15
①船はどのくらい減ったの?どうしてなの?
平成20年は船外機船と云う小さなものが98隻で、普通の動力船の102隻と合せて200隻あります。
◆船の大きさ ○左と関係のあるのはどれかな
船の種類 だいたいの大きさ ~博物館に展示しているので
○こんぶ採りの船 1~ 2㌧くらい 探してみてネ
○ホタテ引きの船 14㌧くらい ○平安丸
○底 建 網 船 10~15㌧くらい ○八 尺
○サケ・マスの船 15~20㌧くらい ○定置網
○沖合い底引き船 150~200㌧くらい ○ネジリ
◆船の数の減少
○10年前の平成10年には、
・船外機船が144隻
・動力船は134隻 の合計278隻ありましたが、2トン前後の船を中心に主に5トン以下の小さい船が大きく減りました。
②働いている漁師さんは何人いるの?
今の漁業協同組合の組合員(お魚を漁で採ってよいヒト)は平成10年のときに207人でしたが、今は178人に減りました。また、漁業全体で働いているヒトは、平成5年が456人、平成15年は452人で組合員の減少に比べて漁師さん全体の変化は小さいです。
③水揚げについて
去年は73,105トン、82億6千百万円と豊漁でしたが、一昨年は台風の被害などもあって53,488トン、68億5千9百万円といつもより少なかったです。
◆紋別の漁獲の順位(平成18年)
○北海道で水揚げされた市町村別の順位は、
・量が10位
・金額で9位
この50年間で一番、お魚が獲れたのは昭和51年の208,644トンですが、そのうちで昔はスケソウダラが一番たくさん獲れていました。昭和60年の11万トンを最後に10万トンを切って、ここ数年は1千トン台の水揚げでしたが、昨年は平成2年以来に1万トン以上が獲れました。
このようにスケソウダラの水揚げが減ったのは、昭和60年に200海里規制が本格的となり、北転船(北洋の遠洋底びき船)や沖合底びき船が遠くまで魚を獲りに行けなくなったこと、全体的に資源が減少したことなどが原因です。
もんべつでは、かってはスケソウダラを塩干した「すきみ」の生産が全国の70%以上を占めたこともありました。
※「たらこ」はタラの子(卵)ではなく、スケソウダラの子(卵)のことです。
○200海里規制って分かるかな、後で調べて見ましょう。
○漁師さんたちは魚を獲りすぎないようにしています。
網の目の大きさを決めて、小さな魚を獲らないようにしたり、みんなで獲る量を制限したりしています。また、「サケ・マス」や「ホタテ」のように育ててから放流するなど、引き続いて、これからも漁ができるように資源の管理に努めています。
○カレイやケガニなど獲ってもよいサイズを調べてみよう。
○「広報もんべつ」の知っていますか『紋別の水産物』を見て、紋別のお魚を勉強しよう。H20年5月号から
第67回 紋別の漁業
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2008年05月12日
ツルのいる村
ツルがいるから鶴居村
~連休に特別天然記念物タンチョウを見に行きました
正真正銘、天然のタンチョウのつがい
まずは「天然記念物」とは…?
記念物とは次の文化財の総称で、
①貝塚や古墳、城跡など歴史上または学術上の価値が高いもの。
②庭園や峡谷、海、山などの名勝地で、芸術上または鑑賞上の価値が高いもの。
③動植物と地質鉱物で学術上の価値の高いもの。
このうち天然記念物とは「学術上において貴重な日本の自然を記念する③のこと」を云い、それを有する、その地域を含めたものです。これに指定されると採捕・採取と開発行為が規制され、その保全と回復の対策がなされます。
古くはアイヌの人々に「サルルンカムイ」と敬われた湿原の神「タンチョウ」は明治25年に保護鳥に指定されましたが、明治末期には開発と乱獲から絶滅したかと思われていました。
大正に入り、地元の猟師がタンチョウを見たとの情報から道庁が調査を行い、大正13年に釧路湿原で約20羽が確認され、昭和10年には「天然記念物」となり「釧路国丹頂鶴保護会」が結成されて、同27年は「特別天然記念物」に指定されました。
そして戦後の昭和25年に阿寒町の山崎定次郎氏が畑に寄ったタンチョウへの餌付けに成功し、また、鶴居村では同27年の冬に登校途中の幌呂小学校の児童が弱ったタンチョウを発見して新井田準次郎校長と子どもらがそれを保護し、デントコーンを餌付けして、同年の大寒波によるタンチョウの餓死では、全国からの飼料の支援となり、同37年からは下雪裡小学校の武藤良治校長が農作物への被害をふせぎながらのタンチョウの保護活動を通じて、教育指導を行ったのでした。
こうして、これらをきっかけとした住民あげての保護活動により、平成18年1月の「生息一斉調査」では1081羽が確認されて、ついに千羽鶴となりました。
今シーズンの冬には松江や米子でタンチョウの幼鳥が目撃されて話題となり、釧路市の丹頂鶴自然公園では3年ぶりにヒナがかえりました。
釧路市丹頂鶴自然公園/同園のツル/3年ぶりのヒナ



第51回かわいい天然記念物
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~連休に特別天然記念物タンチョウを見に行きました
正真正銘、天然のタンチョウのつがい
記念物とは次の文化財の総称で、
①貝塚や古墳、城跡など歴史上または学術上の価値が高いもの。
②庭園や峡谷、海、山などの名勝地で、芸術上または鑑賞上の価値が高いもの。
③動植物と地質鉱物で学術上の価値の高いもの。
このうち天然記念物とは「学術上において貴重な日本の自然を記念する③のこと」を云い、それを有する、その地域を含めたものです。これに指定されると採捕・採取と開発行為が規制され、その保全と回復の対策がなされます。
古くはアイヌの人々に「サルルンカムイ」と敬われた湿原の神「タンチョウ」は明治25年に保護鳥に指定されましたが、明治末期には開発と乱獲から絶滅したかと思われていました。
大正に入り、地元の猟師がタンチョウを見たとの情報から道庁が調査を行い、大正13年に釧路湿原で約20羽が確認され、昭和10年には「天然記念物」となり「釧路国丹頂鶴保護会」が結成されて、同27年は「特別天然記念物」に指定されました。
そして戦後の昭和25年に阿寒町の山崎定次郎氏が畑に寄ったタンチョウへの餌付けに成功し、また、鶴居村では同27年の冬に登校途中の幌呂小学校の児童が弱ったタンチョウを発見して新井田準次郎校長と子どもらがそれを保護し、デントコーンを餌付けして、同年の大寒波によるタンチョウの餓死では、全国からの飼料の支援となり、同37年からは下雪裡小学校の武藤良治校長が農作物への被害をふせぎながらのタンチョウの保護活動を通じて、教育指導を行ったのでした。
こうして、これらをきっかけとした住民あげての保護活動により、平成18年1月の「生息一斉調査」では1081羽が確認されて、ついに千羽鶴となりました。
今シーズンの冬には松江や米子でタンチョウの幼鳥が目撃されて話題となり、釧路市の丹頂鶴自然公園では3年ぶりにヒナがかえりました。
釧路市丹頂鶴自然公園/同園のツル/3年ぶりのヒナ
第51回かわいい天然記念物
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2008年04月06日
2008年03月23日
赤ちゃん絵本のススメ
ブックスタートをはじめよう
~親子でつなぐ心で感性を養う! 第39回親子で読書(第38回、43回参照)
◆乳児用(赤ちゃん)

◆幼児用(1~3才)

《参照 第43回絵本のための本/絵本の選び方》
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~親子でつなぐ心で感性を養う! 第39回親子で読書(第38回、43回参照)
◆乳児用(赤ちゃん)

◆幼児用(1~3才)

《参照 第43回絵本のための本/絵本の選び方》
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2008年03月22日
子どもにすすめたい郷土の本
「北海道青少年のための200冊」~心豊かな青少年を育てる郷土のお話し
(関連、第39回、43回)
昭和45年から続いている「北海道青少年のための200冊」とは㈶北海道青少年育成協会が北海道学校図書館協会と北海道読書推進運動協議会とで協力し選定している推薦図書で、毎年、北海道の地域性を考慮しながら差し替えが行われている。
ここでは最近の小学生向け図書から特に郷土にかかわる10点を選書した。
○【低学年】きつねのかみさま/あまんきみこ(作)酒井駒子(絵)/ポプラ社
なわとびを忘れたりえちゃんが公園にもどってみると、楽しそうな歌声が聞こえてきます。「おおなみこなみ ぐるっとまわって きつねのめ」、そこではキツネの子どもたちがなわとびをしていました。
○【低学年】パヨカカムイ―ユカラで村をすくったアイヌのはなし―/かやのしげる(文)いしくらきんじ(絵)/小峰書店
ユカラが得意、でも狩りがへたでとっても貧しいアイヌが住む村に、病気をまきちらす神・パヨカカムイがやって来た。
○【低学年】ピリカ、おかあさんへの旅/越智典子(作)沢田としき(絵)/福音館書店
鮭のピリカは4歳、もう立派な大人です。なつかしい匂いのする川へ向かってまっすぐに泳ぎつづけます。サケの生態と命の大切さを伝える本。
○【中学年】ペカンペと森のカムイたち/はたさみつる(作)川瀬聖香(絵)/新風舎
菱の実「ペカンぺ」はかたいトゲトゲで生きものたちの嫌われもの、新しいすみかを探して旅にでます。チネシリ、アカン湖、マシュウ湖、クッシャロ湖、トウロ湖と雄大な自然の中に動物たちと出会いながら、旅を続けます。
○【中学年】熊神とカパラペポンス/かやのしげる(作)いしくらぎんじ(絵)/小峰書
ユペッ川の上流のいちばん高い山を守る熊神は、ある日心の美しいアイヌにうたれて、そのアイヌの家に祭られました。歌やおどりをはじめた村びとのひとりに、踊りがとってもじょうずな男がだれなのか知りたくてたまりません・・・。
○【中学年】アイヌとキツネ/かやのしげる(作)いしくらきんじ(絵)/小峰書店
ある夜、アイヌにチャランケ(談判)するキツネがいました。秋になるとシャケがたくさんの川を上ります。神さまはシャケをアイヌだけのものとしてつくったと云うのです。
○【高学年】読みがたり 北海道のむかし話/編北海道むかし話研究会・北海道学校図書館協会/日本標準
昭和53年「北海道のむかし話」の改題。北海道の昔ばなしを、アイヌ民話、本州から渡った和人のはなし、開拓の歴史に分けて、昔ばなし独特の「方言」や「語り」の味わいを残した読み語り。
○【高学年】カムイコタン祭りに/相川公司/新風舎
旭川市のチカブミに暮らす小学校4年生のミナと1年生のミサの姉妹。「ミサ、アイヌでないもーん」、ミサは、自分がアイヌだということをまだ知らない。カムイコタン祭りの日にスピーカーから流れたことばに、ミサは泣きだした…。
○【高学年】アイヌの少年 イキツカ/相川公司/新風舎
和人がアイヌに漁場でのはたらきを強制した時代があった。「おれは山に逃げる」、コタンから漁場につれてこられた少年イキツカは、たった1人で山に逃げる決意をした。豊かな自然の中でのきびしさを体験しながら、自分らしく生きる少年の物語。
○【高学年】どうぶつさいばん タンチョウは悪代官か?/竹田津実(作)あべ弘士(絵)/偕成社
北海道の湿原に住む動物たちが集まって裁判がはじまります。訴えられたのはヤチウグイをたくさん食べるタンチョウです。ヤチウグイは「このままでは全員食べられてしまいます!」という。果たしてタンチョウは年貢をしぼり取る悪代官なのか?
第38回子どもの読書
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(関連、第39回、43回)
昭和45年から続いている「北海道青少年のための200冊」とは㈶北海道青少年育成協会が北海道学校図書館協会と北海道読書推進運動協議会とで協力し選定している推薦図書で、毎年、北海道の地域性を考慮しながら差し替えが行われている。
ここでは最近の小学生向け図書から特に郷土にかかわる10点を選書した。
○【低学年】きつねのかみさま/あまんきみこ(作)酒井駒子(絵)/ポプラ社
なわとびを忘れたりえちゃんが公園にもどってみると、楽しそうな歌声が聞こえてきます。「おおなみこなみ ぐるっとまわって きつねのめ」、そこではキツネの子どもたちがなわとびをしていました。
○【低学年】パヨカカムイ―ユカラで村をすくったアイヌのはなし―/かやのしげる(文)いしくらきんじ(絵)/小峰書店
ユカラが得意、でも狩りがへたでとっても貧しいアイヌが住む村に、病気をまきちらす神・パヨカカムイがやって来た。
○【低学年】ピリカ、おかあさんへの旅/越智典子(作)沢田としき(絵)/福音館書店
鮭のピリカは4歳、もう立派な大人です。なつかしい匂いのする川へ向かってまっすぐに泳ぎつづけます。サケの生態と命の大切さを伝える本。
○【中学年】ペカンペと森のカムイたち/はたさみつる(作)川瀬聖香(絵)/新風舎
菱の実「ペカンぺ」はかたいトゲトゲで生きものたちの嫌われもの、新しいすみかを探して旅にでます。チネシリ、アカン湖、マシュウ湖、クッシャロ湖、トウロ湖と雄大な自然の中に動物たちと出会いながら、旅を続けます。
○【中学年】熊神とカパラペポンス/かやのしげる(作)いしくらぎんじ(絵)/小峰書
ユペッ川の上流のいちばん高い山を守る熊神は、ある日心の美しいアイヌにうたれて、そのアイヌの家に祭られました。歌やおどりをはじめた村びとのひとりに、踊りがとってもじょうずな男がだれなのか知りたくてたまりません・・・。
○【中学年】アイヌとキツネ/かやのしげる(作)いしくらきんじ(絵)/小峰書店
ある夜、アイヌにチャランケ(談判)するキツネがいました。秋になるとシャケがたくさんの川を上ります。神さまはシャケをアイヌだけのものとしてつくったと云うのです。
○【高学年】読みがたり 北海道のむかし話/編北海道むかし話研究会・北海道学校図書館協会/日本標準
昭和53年「北海道のむかし話」の改題。北海道の昔ばなしを、アイヌ民話、本州から渡った和人のはなし、開拓の歴史に分けて、昔ばなし独特の「方言」や「語り」の味わいを残した読み語り。
○【高学年】カムイコタン祭りに/相川公司/新風舎
旭川市のチカブミに暮らす小学校4年生のミナと1年生のミサの姉妹。「ミサ、アイヌでないもーん」、ミサは、自分がアイヌだということをまだ知らない。カムイコタン祭りの日にスピーカーから流れたことばに、ミサは泣きだした…。
○【高学年】アイヌの少年 イキツカ/相川公司/新風舎
和人がアイヌに漁場でのはたらきを強制した時代があった。「おれは山に逃げる」、コタンから漁場につれてこられた少年イキツカは、たった1人で山に逃げる決意をした。豊かな自然の中でのきびしさを体験しながら、自分らしく生きる少年の物語。
○【高学年】どうぶつさいばん タンチョウは悪代官か?/竹田津実(作)あべ弘士(絵)/偕成社
北海道の湿原に住む動物たちが集まって裁判がはじまります。訴えられたのはヤチウグイをたくさん食べるタンチョウです。ヤチウグイは「このままでは全員食べられてしまいます!」という。果たしてタンチョウは年貢をしぼり取る悪代官なのか?
第38回子どもの読書
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2008年02月26日
親子で歌おう日本の歌百選
~日本の歌百選とトラピスト、三木露風
●「親子で歌いつごう 日本の歌百選」
昨年、文化庁と日本PTA全国協議会は、長く親子で歌い継いでほしい歌を募集し、応募された895曲のうち101曲を選定した。
このなかに北海道ゆかりの歌として、広く知られる童謡「赤い靴」が選ばれた。これは野口雨情が道内の新聞社に勤務していたときに知人から打ち明けられた悲話であり、当時の下層民、北海道開拓の厳しさを伝えたものである。
さて、北海道との関わりが余り知られていない、もうひとつの名曲に三木露風の「赤とんぼ」がある。
●三木露風、「赤とんぼのこと」
これは、私の小さい時のおもいでである。「赤とんぼ」を、作ったのは大正十年で、處は、北海道函館附近のトラピスト修道院に於いてであった。或日午後四時頃に、窓の外を見て、ふと眼についたのは、赤とんぼであった。静かな空気と光の中に、竿の先に、じっととまっているのであった。それが、かなり長い間、飛び去ろうとしない。私は、それを見ていた。後に、「赤とんぼ」を作ったのである。関係のある『樫の實』に発表した。
家で頼んだ子守娘がいた。その娘が、私を負うていた。西の山の上に、夕焼していた。草の廣場に、赤とんぼが飛んでいた。それを負われてゐる私は見た。そのことをおぼえている。北海道で、赤とんぼを見て、思いだしたことである。
大分大きくなったので、子守娘は、里へ歸った。ちらと聞いたのは、嫁に行ったということである。山の畑というのは、私の家の北の方の畑である。三木露風稿/抜粋。
1夕焼け、小焼の、 3山の畑の、
赤とんぼ、 桑の實を、
負われて見たのは、 小籠に摘んだは、
いつの日か。 まぼろしか。
2十五で姐やは、 4夕焼け、小焼の、
嫁に行き、 赤とんぼ、
お里のたよりも、 とまっているよ、
絶えはてた。 竿の先。
●日本の歌百選
1 仰げば尊し 不詳/2 赤い靴 野口雨情 本居長世 /3 赤とんぼ 三木露風 山田耕筰 /4 朝はどこから 森まさる 橋本国彦 /5 あの町この町 野口雨情 中山晋平/6 あめふり 北原白秋 中山晋平/7 雨降りお月さん 野口雨情 中山晋平/8 あめふりくまのこ 鶴見正夫 湯山昭/9 いい日旅立ち 作詞作曲:谷村新司/10 いつでも夢を 佐伯孝夫 吉田正/11 犬のおまわりさん 佐藤義美 大中恩/12 上を向いて歩こう 永六輔 中村八大/13 海 林 柳波 井上武士/14 うれしいひなまつり サトウハチロー 河村光陽/15 江戸子守歌 日本古謡/16 おうま 林柳波 松島彜/17 大きな栗の木の下で 不詳 イギリス民謡/18 大きな古時計 保富庚午訳詞 WORK HENRY CLAY/19 おかあさん 田中ナナ 中田喜直/20 お正月 東くめ 滝廉太郎/21 おはなしゆびさん 香山美子 湯山昭/22 朧月夜 高野辰之 岡野貞一/23 思い出のアルバム 増子とし 本多鉄麿/24 おもちゃのチャチャチャ 野坂昭如・吉岡治補作詞 越部信義/25 かあさんの歌 作詞作曲:窪田聡/26 風 西條八十訳詞 草川信/27 肩たたき 西條八十 中山晋平/28 かもめの水兵さん 武内俊子 河村光陽/29 からたちの花 北原白秋 山田耕筰/30 川の流れのように 秋元康 見岳章/31 汽車 不詳 大和田愛羅/32 汽車ポッポ 富原薫 草川信 /33 今日の日はさようなら 作詞作曲:金子詔一/34 靴が鳴る 清水かつら 弘田龍太郎/35 こいのぼり 近藤宮子 不詳/36 高校三年生 丘灯至夫 遠藤実/37 荒城の月 土井晩翠 滝廉太郎 /38 秋桜 作詞作曲:さだまさし/39 この道 北原白秋 山田耕筰/40 こんにちは赤ちゃん 永六輔 中村八大/41 さくら貝の歌 土屋花情 八洲秀章/42 さくらさくら 日本古謡/43 サッちゃん 阪田寛夫 大中恩/44 里の秋 斎藤信夫 海沼実/45 幸せなら手をたたこう 木村利人訳詞 アメリカ民謡/46 叱られて 清水かつら 弘田龍太郎/47 四季の歌 作詞作曲:荒木とよひさ/48 時代 作詞作曲:中島みゆき/49 しゃぼん玉 野口雨情 中山晋平/50 ずいずいずっころばし わらべうた/51 スキー 時雨音羽 平井康三郎/52 背くらべ 海野厚 中山晋平/53 世界に一つだけの花 作詞作曲:槇原敬之/54 ぞうさん まどみちお 團伊玖磨/55 早春賦 吉丸一昌 中田章/56 たきび 巽聖歌 渡辺茂/57 ちいさい秋みつけた サトウハチロー 中田喜直/58 茶摘み 不詳/59 チューリップ 近藤宮子 井上武士/60 月の沙漠 加藤まさを 佐々木すぐる/61 翼をください 山上路夫 村井邦彦/62 手のひらを太陽に やなせたかし いずみたく/63 通りゃんせ わらべうた/64 どこかで春が 百田宗治 草川信/65 ドレミの歌 ペギー葉山訳詞 RODGERS RICHARD/66 どんぐりころころ 青木存義 梁田貞/67 とんぼのめがね 額賀誠志 平井康三郎/68 ないしょ話 結城よしを 山口保治/69 涙そうそう 森山良子 BEGIN /70 夏の思い出 江間章子 中田喜直/71 夏は来ぬ 佐々木信綱 小山作之助/72 七つの子 野口雨情 本居長世/73 花 作詞作曲:喜納昌吉/74 花 武島羽衣 滝廉太郎/75 花の街 江間章子 團伊玖磨/76 埴生の宿 里見義訳詞 BISHOP HENRY ROWLEY/77 浜千鳥 鹿島鳴秋 弘田龍太郎/78 浜辺の歌 林古渓 成田為三/79 春が来た 高野辰之 岡野貞一/80 春の小川 高野辰之 岡野貞一/81 ふじの山 巌谷小波 不詳/82 冬景色 不詳/83 冬の星座 堀内敬三訳詞 HAYS WILLIAM SHAKESPEARRE/84 故郷 高野辰之 岡野貞一/85 蛍の光 稲垣千穎 スコットランド民謡/86 牧場の朝 不詳 船橋榮吉/87 見上げてごらん夜の星を 永六輔 いずみたく/88 みかんの花咲く丘 加藤省吾 海沼実/89 虫のこえ 不詳/90 むすんでひらいて 不詳 ROUSSEU JEAN JAQUES/91 村祭 不詳/92 めだかの学校 茶木滋 中田喜直/93 もみじ 高野辰之 岡野貞一/94 椰子の実 島崎藤村 大中寅二/95 夕日 葛原しげる 室崎琴月/96 夕やけこやけ 中村雨紅 草川信/97 雪 不詳/98 揺籃のうた 北原白秋 草川信/99 旅愁 犬童球渓訳詞 ORDWAY JP/100 リンゴの唄 サトウハチロー 万城目正/101 われは海の子 宮原晃一郎 不詳
第23回残そう、日本の文化
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●「親子で歌いつごう 日本の歌百選」
昨年、文化庁と日本PTA全国協議会は、長く親子で歌い継いでほしい歌を募集し、応募された895曲のうち101曲を選定した。
このなかに北海道ゆかりの歌として、広く知られる童謡「赤い靴」が選ばれた。これは野口雨情が道内の新聞社に勤務していたときに知人から打ち明けられた悲話であり、当時の下層民、北海道開拓の厳しさを伝えたものである。
さて、北海道との関わりが余り知られていない、もうひとつの名曲に三木露風の「赤とんぼ」がある。
●三木露風、「赤とんぼのこと」
これは、私の小さい時のおもいでである。「赤とんぼ」を、作ったのは大正十年で、處は、北海道函館附近のトラピスト修道院に於いてであった。或日午後四時頃に、窓の外を見て、ふと眼についたのは、赤とんぼであった。静かな空気と光の中に、竿の先に、じっととまっているのであった。それが、かなり長い間、飛び去ろうとしない。私は、それを見ていた。後に、「赤とんぼ」を作ったのである。関係のある『樫の實』に発表した。
家で頼んだ子守娘がいた。その娘が、私を負うていた。西の山の上に、夕焼していた。草の廣場に、赤とんぼが飛んでいた。それを負われてゐる私は見た。そのことをおぼえている。北海道で、赤とんぼを見て、思いだしたことである。
大分大きくなったので、子守娘は、里へ歸った。ちらと聞いたのは、嫁に行ったということである。山の畑というのは、私の家の北の方の畑である。三木露風稿/抜粋。
1夕焼け、小焼の、 3山の畑の、
赤とんぼ、 桑の實を、
負われて見たのは、 小籠に摘んだは、
いつの日か。 まぼろしか。
2十五で姐やは、 4夕焼け、小焼の、
嫁に行き、 赤とんぼ、
お里のたよりも、 とまっているよ、
絶えはてた。 竿の先。
●日本の歌百選
1 仰げば尊し 不詳/2 赤い靴 野口雨情 本居長世 /3 赤とんぼ 三木露風 山田耕筰 /4 朝はどこから 森まさる 橋本国彦 /5 あの町この町 野口雨情 中山晋平/6 あめふり 北原白秋 中山晋平/7 雨降りお月さん 野口雨情 中山晋平/8 あめふりくまのこ 鶴見正夫 湯山昭/9 いい日旅立ち 作詞作曲:谷村新司/10 いつでも夢を 佐伯孝夫 吉田正/11 犬のおまわりさん 佐藤義美 大中恩/12 上を向いて歩こう 永六輔 中村八大/13 海 林 柳波 井上武士/14 うれしいひなまつり サトウハチロー 河村光陽/15 江戸子守歌 日本古謡/16 おうま 林柳波 松島彜/17 大きな栗の木の下で 不詳 イギリス民謡/18 大きな古時計 保富庚午訳詞 WORK HENRY CLAY/19 おかあさん 田中ナナ 中田喜直/20 お正月 東くめ 滝廉太郎/21 おはなしゆびさん 香山美子 湯山昭/22 朧月夜 高野辰之 岡野貞一/23 思い出のアルバム 増子とし 本多鉄麿/24 おもちゃのチャチャチャ 野坂昭如・吉岡治補作詞 越部信義/25 かあさんの歌 作詞作曲:窪田聡/26 風 西條八十訳詞 草川信/27 肩たたき 西條八十 中山晋平/28 かもめの水兵さん 武内俊子 河村光陽/29 からたちの花 北原白秋 山田耕筰/30 川の流れのように 秋元康 見岳章/31 汽車 不詳 大和田愛羅/32 汽車ポッポ 富原薫 草川信 /33 今日の日はさようなら 作詞作曲:金子詔一/34 靴が鳴る 清水かつら 弘田龍太郎/35 こいのぼり 近藤宮子 不詳/36 高校三年生 丘灯至夫 遠藤実/37 荒城の月 土井晩翠 滝廉太郎 /38 秋桜 作詞作曲:さだまさし/39 この道 北原白秋 山田耕筰/40 こんにちは赤ちゃん 永六輔 中村八大/41 さくら貝の歌 土屋花情 八洲秀章/42 さくらさくら 日本古謡/43 サッちゃん 阪田寛夫 大中恩/44 里の秋 斎藤信夫 海沼実/45 幸せなら手をたたこう 木村利人訳詞 アメリカ民謡/46 叱られて 清水かつら 弘田龍太郎/47 四季の歌 作詞作曲:荒木とよひさ/48 時代 作詞作曲:中島みゆき/49 しゃぼん玉 野口雨情 中山晋平/50 ずいずいずっころばし わらべうた/51 スキー 時雨音羽 平井康三郎/52 背くらべ 海野厚 中山晋平/53 世界に一つだけの花 作詞作曲:槇原敬之/54 ぞうさん まどみちお 團伊玖磨/55 早春賦 吉丸一昌 中田章/56 たきび 巽聖歌 渡辺茂/57 ちいさい秋みつけた サトウハチロー 中田喜直/58 茶摘み 不詳/59 チューリップ 近藤宮子 井上武士/60 月の沙漠 加藤まさを 佐々木すぐる/61 翼をください 山上路夫 村井邦彦/62 手のひらを太陽に やなせたかし いずみたく/63 通りゃんせ わらべうた/64 どこかで春が 百田宗治 草川信/65 ドレミの歌 ペギー葉山訳詞 RODGERS RICHARD/66 どんぐりころころ 青木存義 梁田貞/67 とんぼのめがね 額賀誠志 平井康三郎/68 ないしょ話 結城よしを 山口保治/69 涙そうそう 森山良子 BEGIN /70 夏の思い出 江間章子 中田喜直/71 夏は来ぬ 佐々木信綱 小山作之助/72 七つの子 野口雨情 本居長世/73 花 作詞作曲:喜納昌吉/74 花 武島羽衣 滝廉太郎/75 花の街 江間章子 團伊玖磨/76 埴生の宿 里見義訳詞 BISHOP HENRY ROWLEY/77 浜千鳥 鹿島鳴秋 弘田龍太郎/78 浜辺の歌 林古渓 成田為三/79 春が来た 高野辰之 岡野貞一/80 春の小川 高野辰之 岡野貞一/81 ふじの山 巌谷小波 不詳/82 冬景色 不詳/83 冬の星座 堀内敬三訳詞 HAYS WILLIAM SHAKESPEARRE/84 故郷 高野辰之 岡野貞一/85 蛍の光 稲垣千穎 スコットランド民謡/86 牧場の朝 不詳 船橋榮吉/87 見上げてごらん夜の星を 永六輔 いずみたく/88 みかんの花咲く丘 加藤省吾 海沼実/89 虫のこえ 不詳/90 むすんでひらいて 不詳 ROUSSEU JEAN JAQUES/91 村祭 不詳/92 めだかの学校 茶木滋 中田喜直/93 もみじ 高野辰之 岡野貞一/94 椰子の実 島崎藤村 大中寅二/95 夕日 葛原しげる 室崎琴月/96 夕やけこやけ 中村雨紅 草川信/97 雪 不詳/98 揺籃のうた 北原白秋 草川信/99 旅愁 犬童球渓訳詞 ORDWAY JP/100 リンゴの唄 サトウハチロー 万城目正/101 われは海の子 宮原晃一郎 不詳
第23回残そう、日本の文化
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2008年02月07日
スキーとスケート、ママさんダンプの始まり
昔の暮らしと遊び~あいすパラダイス語りのじかんから 子供の体験学習(紋別地区社会教育推進協議会より)
~子供向け、昔の冬のお話し
-はじめに-
〇冬の氷だし
・紋別の流氷祭りの「氷柱」はどこから持って来てるか分かる?
今はゴルフ場のところにある通称「氷池」で作っている。昔(昭和40年代)は流氷も多く、港からもたくさんの氷が切り出されていたから、やっぱり今より寒かったのかな。
〇毛がに拾い
・毛がに拾いって分かるかな?
皆さんのおじいちゃんやおばあちゃんが子どもだったころ、今から何十年も昔のころは、2月から4月の流氷の頃に、「毛がに」がうじゃうじゃ砂浜に上がって来て、1斗ガンガンでひとつ2つとたくさん獲れた。そんな時代もあったんだネ。
①昔の冬の暮らし
ア)除雪のおはなし
・ジョンバって知ってる?
「ジョンバ」は北海道だけのことばで「雪なげ」のこと。古くは竹や木で作られていて、今の「雪なげ」の原型は旧国鉄(今のJR)のひとが考えたらしい。そして「雪押し」も雪の多い地方の国鉄でよく使われていたものが、昭和30年代後半に一般家庭にも広まった。ママさんダンプもずいぶん昔からあったんだネ。
・除雪のお話し
北海道の道路の除雪の始まりは、明治9年(約130年前)に「屯田兵村」において「除雪当番心得」というきまりができ、ひとが2人通れるくらいの道幅を5人一組でふみ固めることにしたことから。兵隊さんの雪中行進が除雪の始まり。それから明治19年にはロシアから「馬そり」が輸入されると、それを三角に工夫して、今の除雪車のように雪をかくようになった。 (上藻別駅逓所・鴻之舞資料館)
イ)昔の暖房
・ストーブの始まりは宗谷と紋別から
今のようなストーブは江戸時代の箱館奉行に頼まれた弥五郎さんがイギリス船へ見学に行き、設計したのが始まり。初めは箱館で作られ蝦夷地(北海道)の各地に送る予定だったがなかなか必要な数ができないので、それで宗谷のアイヌ人の鍛冶屋さんが作ってみたところたいへんうまくでき、そこから網走や斜里、紋別に配られたのが始まり。
・ダルマストーブって何?
ストーブには石炭用と薪用があって、「ダルマ型」や「タコ型」、「小判型」など面白い名まえのものが多い。このうち「ダルマ型ストーブ」は明治の初めころにアメリカから輸入されて、駅や学校などで使われた。明治の中ごろからは列車の中でも使われて、いろんなものを焼いて食べながら、おしゃべりをする風景が見られた。
・ストーブの小道具いろいろ
意外と最近まではあっちこっちの学校にまだ石炭ストーブがあって、おじさんが子どものころは「石炭当番」というのがいて、石炭小屋から石炭を運んではストーブの隣りの席に座って石炭をくべていた。「ジョンバ(十能)」、「デレッキ(かぎ)」、「石炭箱」が当番の三点セットで、そのストーブで牛乳を温めたりイモやスルメを焼いて食べた。
②冬の遊び道具
・子ども用そり
子ども用の遊びそりもたくさんの種類があるが、おじいちゃんやおばあちゃんの子どものころは(おじさんの小さい時もまだあった)、サンタさんが乗るような押し手(背)とひじかけの付いたものが一般的で、少しぐらい深い雪でもすべることができた。
・スケートのはじまり
江戸時代の終わりころに箱館にいた商人のブラキストンが始めたと云われ、「ゲロリやそりで坂をすべってはケガ人が出てあぶないので止めるように」と御触書が出ている。そしてお札にもなった留学帰りの「新渡戸博士」のスケートを見本に国内でもスケートが作られるようになり、明治の終わりくらいには子どもたちの間に広まった。昔は下駄スケートや竹スケートなどというものもあり、道路などで雪スケートをした。
・スキーの始まり
北海道のスキーの始まりは明治41年に札幌農学校の「コラー先生」がスイスからスキーを取寄せたのが始まりで、のちにオーストリアの「レルヒ少佐」(日本で最初にスキーをしたひと)が旭川の軍隊で教えたりしたが、このころのスキーにはストックが1本しかなかった。北海道では古くはツバメ印の「ツバメスキー」が有名。 (上藻別駅逓所・鴻之舞資料館)

③冬のはきもの
・わらぐつとゴム長
昔は雪が深いときは「カンジキ」を使い、また、わらで作った長ぐつ、「深わらぐつ」をはいたりした。ゴム長ぐつは明治からあったが、一般のひとがはくようになったのが大正になってからで、北海道では今もある小樽の「三馬ゴム」が有名(大正8年創業)。しかし昔のゴム長ぐつはすべって歩きづらく、仕事の時やたくさん歩くときは「つま子」と云うわらのくつをはいたりしていた。明治の後半ころから都会では丈の高い「雪げた」が使われるようになり、げたの歯にはつめがついていた。
(置戸町史) (置戸町郷土資料館)

大正時代にズックくつにゴム底をはった「防寒ボッコ靴」「開墾靴」として東北から樺太まで広く通販されて、使い安いとたいへんに人気があった置戸町の「大矢ボッコ」。ゴム底は「北海道護謨」、のちの「三馬ゴム」のものが使われた。
第5回郷土の暮らしと遊び
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~子供向け、昔の冬のお話し
-はじめに-
〇冬の氷だし
・紋別の流氷祭りの「氷柱」はどこから持って来てるか分かる?
今はゴルフ場のところにある通称「氷池」で作っている。昔(昭和40年代)は流氷も多く、港からもたくさんの氷が切り出されていたから、やっぱり今より寒かったのかな。
〇毛がに拾い
・毛がに拾いって分かるかな?
皆さんのおじいちゃんやおばあちゃんが子どもだったころ、今から何十年も昔のころは、2月から4月の流氷の頃に、「毛がに」がうじゃうじゃ砂浜に上がって来て、1斗ガンガンでひとつ2つとたくさん獲れた。そんな時代もあったんだネ。
①昔の冬の暮らし
ア)除雪のおはなし
・ジョンバって知ってる?
「ジョンバ」は北海道だけのことばで「雪なげ」のこと。古くは竹や木で作られていて、今の「雪なげ」の原型は旧国鉄(今のJR)のひとが考えたらしい。そして「雪押し」も雪の多い地方の国鉄でよく使われていたものが、昭和30年代後半に一般家庭にも広まった。ママさんダンプもずいぶん昔からあったんだネ。
・除雪のお話し
北海道の道路の除雪の始まりは、明治9年(約130年前)に「屯田兵村」において「除雪当番心得」というきまりができ、ひとが2人通れるくらいの道幅を5人一組でふみ固めることにしたことから。兵隊さんの雪中行進が除雪の始まり。それから明治19年にはロシアから「馬そり」が輸入されると、それを三角に工夫して、今の除雪車のように雪をかくようになった。 (上藻別駅逓所・鴻之舞資料館)
・ストーブの始まりは宗谷と紋別から
今のようなストーブは江戸時代の箱館奉行に頼まれた弥五郎さんがイギリス船へ見学に行き、設計したのが始まり。初めは箱館で作られ蝦夷地(北海道)の各地に送る予定だったがなかなか必要な数ができないので、それで宗谷のアイヌ人の鍛冶屋さんが作ってみたところたいへんうまくでき、そこから網走や斜里、紋別に配られたのが始まり。
・ダルマストーブって何?
ストーブには石炭用と薪用があって、「ダルマ型」や「タコ型」、「小判型」など面白い名まえのものが多い。このうち「ダルマ型ストーブ」は明治の初めころにアメリカから輸入されて、駅や学校などで使われた。明治の中ごろからは列車の中でも使われて、いろんなものを焼いて食べながら、おしゃべりをする風景が見られた。
・ストーブの小道具いろいろ
意外と最近まではあっちこっちの学校にまだ石炭ストーブがあって、おじさんが子どものころは「石炭当番」というのがいて、石炭小屋から石炭を運んではストーブの隣りの席に座って石炭をくべていた。「ジョンバ(十能)」、「デレッキ(かぎ)」、「石炭箱」が当番の三点セットで、そのストーブで牛乳を温めたりイモやスルメを焼いて食べた。
②冬の遊び道具
・子ども用そり
子ども用の遊びそりもたくさんの種類があるが、おじいちゃんやおばあちゃんの子どものころは(おじさんの小さい時もまだあった)、サンタさんが乗るような押し手(背)とひじかけの付いたものが一般的で、少しぐらい深い雪でもすべることができた。
・スケートのはじまり
江戸時代の終わりころに箱館にいた商人のブラキストンが始めたと云われ、「ゲロリやそりで坂をすべってはケガ人が出てあぶないので止めるように」と御触書が出ている。そしてお札にもなった留学帰りの「新渡戸博士」のスケートを見本に国内でもスケートが作られるようになり、明治の終わりくらいには子どもたちの間に広まった。昔は下駄スケートや竹スケートなどというものもあり、道路などで雪スケートをした。
・スキーの始まり
北海道のスキーの始まりは明治41年に札幌農学校の「コラー先生」がスイスからスキーを取寄せたのが始まりで、のちにオーストリアの「レルヒ少佐」(日本で最初にスキーをしたひと)が旭川の軍隊で教えたりしたが、このころのスキーにはストックが1本しかなかった。北海道では古くはツバメ印の「ツバメスキー」が有名。 (上藻別駅逓所・鴻之舞資料館)
③冬のはきもの
・わらぐつとゴム長
昔は雪が深いときは「カンジキ」を使い、また、わらで作った長ぐつ、「深わらぐつ」をはいたりした。ゴム長ぐつは明治からあったが、一般のひとがはくようになったのが大正になってからで、北海道では今もある小樽の「三馬ゴム」が有名(大正8年創業)。しかし昔のゴム長ぐつはすべって歩きづらく、仕事の時やたくさん歩くときは「つま子」と云うわらのくつをはいたりしていた。明治の後半ころから都会では丈の高い「雪げた」が使われるようになり、げたの歯にはつめがついていた。
(置戸町史) (置戸町郷土資料館)

大正時代にズックくつにゴム底をはった「防寒ボッコ靴」「開墾靴」として東北から樺太まで広く通販されて、使い安いとたいへんに人気があった置戸町の「大矢ボッコ」。ゴム底は「北海道護謨」、のちの「三馬ゴム」のものが使われた。
第5回郷土の暮らしと遊び
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